他人の評価などはどうでもいい。
自分を裏切らずに、しっかり前を向いて生きているかどうか・・
昔、ある方のこんな言葉があった。
「身体のぜい肉は付いたとしても、心のぜい肉はつけたくない・・・」
きざな言葉なようだけれど、真に心に染みた言葉だった。
ありのままの自分を大切に、これからも生きて行くことが出来たなら、
これを、「幸せ」と呼ぶ以外、あるのだろうか?
最近の事だけれど、5歳の時から離れて暮らしてきた息子に聞かれたことがあった。
「お母さん、今、幸せ??」って・・
あの時、彼は何を考え聴いてきたのか・・考える必要はないけれど、そんな問いかけをしてきた彼が、何とも誇ら
しく、人間としての、しっかりとした礎を持っていることに、ただただ嬉しさを感じた。
「母さんは今、幸せだょ。貴方達が、立派に育ってくれただけで母さんは幸せだょ」って・・
人の幸せ、不幸せ・・・
全ては自分の心の在り方なのだと、つくづく思う。
人が涙を流す時は・・自分を許す時
人が涙を流す時は・・これまで生きてきた中で経験していない事に遭遇した時
人が涙を流す時は・・信実の愛を知った時
涙・・・
そう!自分を解放してあげましょう
今宵は、思う存分貴女の心が癒されるまで・・・
涙は明日のエネルギー
涙は貴女の心を磨く大切なもの・・・
新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
福岡糸島は、生憎の曇り空です。ただ、この時期にしては暖かく感じます。
昨日は、恒例の「白山神社」へ初詣いたしました。
~のミコト??(福井神楽で神楽を舞った神様)に頭を撫でていただきました。
ラッキー☆☆です。
さて・・今年の抱負も立てていないところでずか、これまでの事を礎に、また今日から歩いていきます。
今朝は月二回行われている海岸のゴミ拾いでした。今日も沢山の様々なゴミが漂着していました。誤って海に何かを落としてしまう事はあるけれど、意図的に捨てる人は絶対に許せませんね。たった数人の(今日は私ひとりでした)、しかも月に二回足らずのゴミ拾いでは、到底かなわないけれど、今日拾った分だけは確実に海がきれいになったということ。何でそんなことやるの?って、聞かれることもあるけれど、別に理由はないかも知れないね。
ただ、綺麗になることが、そのすがすがしさが、そしてこの浦浜が、海が・・好きだからです!
「あ・い・き」・・焦らず・怒らず・気負わず?、ご近所の方々と、これからもやっていきます。でも、人が少ないので、どなたでもお手伝いください。飛び入り!年に一回!10分だけ!それでも大歓迎♪
お手伝いいただいた方には、もれなく何もありませんが、笑顔でお迎えいたしましょう・・
今日は、ちょっと腰を痛めました。
これまで存在すらなかったおじいちゃんが今、私の心にしっかり居ます。
母方のおじいちゃんだけれど、昭和21年12月30日に亡くなりました。(先週、叔母から聞き、知りました)
おじいちゃんの名前は「武雄」です。
戦争から帰り、横浜港で降ろされて、家族に会いたい一心で埼玉県さいたま市(旧大宮市)まで歩いて帰ったそうです。
その後、どこかの会社に勤め、その会社が火災に遭い、一旦は避難出来たものの、書類を取りに火の中に飛び込んだそう・・そして、全身やけどを負い、入院して一ヶ月後に息を引き取ったとのこと・・墓参り行くと、いつも口癖のように母から「おじいちゃんは水が飲みたい飲みたいと言って死んでいったんだょ。だから、沢山お水をあげようね」という言葉を聞いていた。
私の母は、当時恐らく14.15歳だったのだろう・・
母の気持ちや、祖母の気持ち、そして何より祖父である、おじいちゃんの気持ちは果たして、どうだったんだろうか・・・
今、おじいちゃんの足跡を知りたいと、思いが募る。
30代後半であろう年齢で、命尽きたことをひたすら思ふ。
無念であったろう・・
これまで私は、今まで生かされているのだと決めつけていた。わがままな考え。
今は初めて・・・人の分まで私は生きなければと!おじいちゃんや母の分まで幸せにならなければいけないのだと確信した。
会う事も出来ず、見知らぬ私のおじいちゃん・・私は、あなたに似ている気がしてなりません。
これから先、私はおじいちゃんに寄り添って生きたいと心から思い、感じます。
あなたの分まで、生き抜き、そして幸せになることがあなたへの供養だと・・・
これからも逢うことない、私のおじいちゃんへ。
日曜日の朝10時の時報とともにラジオから流れてくるこの曲が大好きでした!
そして、続いて始まるバックグラウンドミュージックも・・
今はこんな素敵な番組は、なかなかないですね。
13日は東京へ出張だったので、その夜は息子たちと食事をした。
なぜかいつも決まってゆうき亭・・・
初めて行ったのは平成6年だから、もう彼此20年近くなるけれど、そこのご主人も店の雰囲気も味もその当時のままである。
何となく、息子二人の事も覚えてくださっているようで、店を訪れる度に「大きくなったね!」とか「幾つになったの?」などと、声を掛けてくださる。
時代が流れても変わらぬものがあるっていい・・
翌日は、フライトの時間まで数時間あったので、川崎から京浜東北線を大宮方面へ乗り込んだ。
(丁度来た電車は「南浦和止まり」・・懐かしい響きであった。南浦和は私が生まれてから23才まで住んでいた実家の隣町。今の住処に移ってから、すっかり九州人となったつもりでも、東京へ帰れば、何の不思議もなく、そこに溶け込み、普通に電車に乗って居れる。)
入谷界隈に行きたい気分で上野で下車したけれど、そのまま足は上野公園へ向かった。
昔は家族と一緒に良く来た公園だったが、まさか今ここに来れるとは思わなかった。
猛暑の炎天下の中、とにかく暑かった。
でも、上野公園は沢山の家族連れで賑わっていた。
昔は感じもしなかったが、上野公園って案外、素敵な都会のオアシスなのだと、今更になって気がついた。
ぶらぶら散歩しながら途中、国立博物館に立ち寄った。入館料600円って、意外と安い!
館内には、日本の文化・歴史が様々展示されていた。
普段使わない脳をヒートアップして、そこに居る人々と同化してきた。
そういえば・・小学校5年生の頃、どうしても観たくて独りで「古代エジプト展」に来たのも、此処だったと思いだした。
過去へタイムスリップした時間だった。
※今日は博多祇園山笠の追い山 ? だった。毎年、行こう行こうと思いながら、今年もテレビで観て終わった。でも、熱いものをすっごく感じる。。博多の夏・・いいねっ!
冷蔵庫の中を見たら豚汁の材料があったので、久しぶりに豚汁を作った。
♢材料♢
豚バラ・じゃが芋・人参・玉葱・生姜のすりおろし・あごだし・麦みそ・モロッコいんげん・ゆずこしょう
しかし!
豚汁って、地方によって具材が異なることを知った。
インターネットで調べたらレシピによって、サトイモ・白菜・油揚げ・きゃべつ・ごぼう・・と千差万別である。
私の中では、ごぼう・油揚げ・サトイモは、「けんちん汁」の材料として常識である。
読み方も「ぶたじる」と「とんじる」と二通りある。
我が家では「とんじる」と呼んでいた。
いろいろな料理が地方によって、具材も読み方も違ってくるものだ。
我が家の常識≠世間の常識なんですね・・
東京は故郷だから、どんな雑踏でも心が安らぐ
福岡は大好き土地だから、毎日が癒される
京都は沢山の歴史があるから、しっとりと馴染む
大阪は日本で一番暮らしたくない土地だったけれど、今では何故か青春の香りがする
北海道は新婚旅行で10日間走り回った処だから、なつかしい
気仙沼は友達がいて震災で沢山の苦しみと悲しみを感じたから、私は行きたい
沖縄は、戦争で沢山の悲しみが埋もれている土地だけれど沖縄民謡とウチナンチュウの心があるから、心惹かれる
日本は、沢山の愛と勇気を沢山持ってる国だから、私は好き
そして、この地球・・この宇宙・・全てが愛しい
宇宙からのエネルギーを存分に受け止めて、人は皆、生きている
人ってすばらしい!
いろんな世界があっていいと思う
いろんな人がいるから面白い
みんなが同じだったらつまらない
他人の陰口言った自分を咎めながら
だからこそ、その分人に優しくなれる
そしてそんな自分がまた可愛い
出来そこないの自分だから
優しく私を抱きしめよう
上手く画像の挿入が出来ない 昨日の休日も沢山沢山素敵な景色を撮ったので、是非載せてみたい!けれど私の未熟な技術ではどうする事も出来ずに途方に暮れている・・考えてみればアナログ人間だった。文明の利器を上手く使いこなすことが出来ない人間だった!この世の中は、愛と真実がすべてと思っている骨董人間だ!でも・・そんな人間だっていいではないか!他人様に迷惑をかけずに生きることができれば・・なんでこんな話題になったのだろう??とにかくブログが正常に書き込めるようになりたい!
毎日の通勤はマイカーで片道50㎞ある。さすがに遠いと感じながらも日々変わりゆく自然の姿を眺めながらドライブ感覚で山道を通勤するのは、ひとつリラックスタイムでもある。毎日、県道49号線~糸島峠を通っていくが、もう一カ月近く経つだろうか・・地滑りのため糸島峠は通行止めを余儀なくされている。そのため、ここ一カ月は迂回路でもある日向峠を通っている。丁度峠に差し掛かると、そこには桜の花が咲き乱れる公園が見えてくる。桜を代表するソメイヨシノは既に散り、選手交代で今は濃いピンク色の八重桜がみごとに満開となっている。そして、木々も新緑の準備が着々と進み、そろそろ命が芽生える香りがあちらこちらに漂い始める季節に近づいてきた。山々は、日ごとに立体感を増しており、様々な命が活発に動き出す・・そんな季節を迎える歳月・・なのに、とても悲しく悔しく辛い光景も現実として捉えなければならない。今日も一体、毎日どこかでタヌキや猫やイタチなどの小動物が車に跳ねられ、無惨な姿で道路に放り出されている。時には、殆ど原型が留めることなく目を背けたくなる程に・・そして、昨年7月、私も人生で初めて加害者となった瞬間を経験した。仕事を終えいつもの通り山道を下り、前原大野城線を走っていた時、後続車に急きたてられていたことと、対向車のハイビームライトで視界を失ったと同時に、猫であったのか・丁度中央分離線辺りを蛇行してこちらに向かって走って来た瞬間、私はハンドルを切ることも出来ずブレーキをかけても間に合わず、その動物が当った鈍い音を聞いた。それは、一瞬の出来事であった。気持ちの動揺で、アクセルを踏んでいた足はガタガタ震え、しばらくそのまま止まることをせず車を走らせていた。ふと、我に返って恐る恐るUターンをして、その現場へ戻り車から降りた。そこに猫らしき小動物が頭から血を流し横たわっていた。私が殺してしまったと思った時、ただ立ちすくみ嗚咽することしか出来なかった。どうしたらよいのか・・辺りは暗闇で殆どなにも見えない。とにかく他の車に潰されてはいけないと、車のトランクに段ボールがある事を思い出し、それを取り出して小動物をに近づこうとした。しかし、怖くて足が竦み、そこまでいけなかった。そこに猛スピードで通過する車があり、何も出来ない状態だった。誰かに手伝ってもらいたくても、行き交う車に大きく手を振っても止まってくれる車はいなかった。近くに交番も真っ暗で無人だった。そこに小動物を放置するのは嫌で堪らなかったが、とにかく誰かの手を借りたく、車に乗り込み震えながら走らせた。結局、そこから10㎞近くの交番まで助けを求める事が出来なかった。ようやく辿りついて交番に入り、おまわりさんに事実を告げ、どうしたらよいのか相談した。その時、「動物は避けられないから仕方ないですよ」と言う、言葉に救われたと同時に、やはりそうではない、たった一つの命を奪ってしまった自分の罪を拭う事はできなかった。ただ、おまわりさんは管轄外と言いながらも、動物を処理してくださる管轄へ連絡をして下さった。私は、自分の愛車に対しても申し訳なく、その夜は眠ることも覚束なかったのを覚えている。翌朝、勇気を出してその場所まで行った時、小動物の姿が無かった事に安堵し、ちゃんと処理をしてくださった見知らぬ方に感謝をした。ただ、その時も、そして今でも命を奪ったことに対しての罪深さを忘れることは出来ない。いまでもそこを通過するときは、スピードを緩め手を合わせる。人間が当たり前に自然を壊し、動物の住処や遊び場を奪っている。どうしたら共存できるのか・・この地球も未来も人間だけのものではない。生きとし生けるものすべてが平等なのだ。だから、たとえ小さな小さな虫けらであっても大切な命・・私たち人間はいつもいつまでも決して忘れてはいけないこと。
いろんな不平不満
今の環境
未だに独りっきり
すべては自分が決めたこと
誰のせいでも運命でもない
自分が辿った道筋
そしてこれから歩く道の今入口に立っているだけだ
久しぶりにゆったりとした朝を迎えた。
布団から出て窓を開け放すと、キツツキ・トンビ・ウグイス・カラス・・と様々な鳥たちの鳴き声がハーモニーとして聞こえてくる。
忙しさの中でこのところ忘れていた音色だ。両手いっぱい伸ばして思いっきり深呼吸・・
人間は極限まで頑張ろうとする習性がある。私もその一人で、気が付くと自分を追い込み余裕もなく、姿勢も丸くなりなんともみじめな自分になっている。
昨夜は久しぶりに何でも愚痴を言い合える仲間達と時間を共にした。お互いに利害関係もなく、損得なしで好きな事を言える。
そんな時間を過ごした翌日の朝だからまた今朝は格別なのだろう。本当に素敵な朝だ!
気が付くと、もうすっかり春の気配が漂っている。寒さに耐えた今年の冬ももう終わり、梅の花が満開となり、もう桜の蕾も膨らみかけてきた。
人の悲しみや喜びや憎しみ、そして出逢いと別れに関係なく、季節は私たち人間を迎えてくれる。素敵な朝に包まれて今日一日は、心の充電を思いっきりしよう!
毎月第2、第4日曜日に裏の海岸のゴミ拾いをしている。
きっかけは、21年の4月だったか・・海岸を散歩していた時に同じマンションに住む方と初めて会話をした際に、海岸に打ち上げられているごみや木材、ロープやペットボトル、空き缶と・・そんな話題になった。
会話が弾んでくると、その方はそのとき既に8年くらい前から「まちけん二丈」として海岸の清掃活動をされていたらしかった。そんなことで「よかったら来ない?」との誘いに飛びついて以来、続けている。
この「まちけん」のモットー?は、<あ・い・き>だそうだ。
あ・ 焦らず
い・ 怒らず
き・ 気負わず
私もこの精神に乗っ取り、無理をせず、強引に人をも誘わず、流れ着いたゴミやロープや空き缶にも怒らず
拾っている。
季節によって流れ着くゴミの種類が違うのがおもしろい。 今日のゴミはロープが一番多かった!大収穫?は、大き 「うき」。また、遠く外国から潮に乗って旅をしてきた、そんなゴミもたくさんあった。
年末の休みを利用してドライブに出た。
おにぎり一個と水筒にお茶を入れて、気の向くままプラッツと走り出した。
福岡方面へ行って、人ごみは見たくない。高速道路に乗って、ただスピードを出すのはつまらない・・
まして、帰省ラッシュで高速道路は渋滞しているだろうから。
唐津~伊万里方面の比較的車の少ない道を選んだ。
こちらの方面だと、行きたいところは平戸か長崎
いつも海を見ているけれど、やはり海に足が向く。
そうだ!やっぱり海岸線を走って行こう!
プラッツとは3回目の平戸への旅・・
平戸はキリシタンの街でもあり、漁業の街でもある。
大小様々に天主堂、寺院が立ち並ぶ街。
特にキリシタンでも何でもないが、ここの街の風情にいつも心惹かれるものがある。
今回は、プラッツと沢山の思い出作りの為の一日のつもりだったので、とにかく気持ちよく彼を走らせたいと思っていた。彼は「風の子」だから・・
松浦~田平を過ぎると、赤い大きな平戸大橋がある。そして更に平戸を縦断すると生月大橋が見えてきた。
ここまできたら生月島の一番奥まで行ってみよう。
離島を除けば、九州で最西端の土地であり、ここの海の潮の流れは、それはそれは複雑で荒々しく心掻き立てられるものがある。
塩俵の岸壁~大バエ灯台へ突き進む。
ここまでやって来た!
車を降りて、灯台まで歩き、灯台の階段を上り切ると、四方から吹く冷たい風と遠くにうねる潮の流れる音が響き渡ってきた。
大海原のこの高台にポツンと独り佇んでいると、宇宙に取り残された気持ちになっていく・・
容赦なく吹く風に身を委ねた風車がまた壮大なものだ。
自然の素晴らしさを感じることと同時に、自然の怖さをも実感する。
仕事に明け暮れている毎日から、自分を見つめる時間を作ってくれたプラッツとの旅・・
おおよそ240㎞の心地良い思い出作りだった。
小学生だった頃の日曜日の朝は、とにかくゆったりしていた。
両親も共働きで、普段は家族全員が顔を合わせることがなかったから、日曜日だけは何やら家族の温もりたるものを感じていた。
我が家は家族5人。六畳一間のぼろアパートに住んでいた。
今では信じられない、家賃が5千円程度だったようだ。トイレも台所も玄関も・・みんな共同だった。
それこそ冷蔵庫もなく、卵が戸棚に紫色のそれは綺麗なプラスチック容器に入っていたのを覚えている。
洗濯機はかろうじてあったが、今の様な全自動はもちろんのこと、二層式でもなかった。
洗濯が終わった後、手動でローラーをくるくる巻いて絞る機械?が付いていたものだった。
いやいや! 裏にあった外水道にタライと洗濯板でゴシゴシと精を出して洗濯していた母の姿も鮮明にある。
話はズレたが、その日曜日の朝は、睡魔と布団の温もりから脱出できない!
そんな時、早朝から洗濯や朝食の準備で大忙しの母の「早く起きなさあーイ!」と言う怒鳴り声。
仕方なく瞳を開け始める。その瞬間、私の眼に映ったものは、窓から立ち込める朝日に照らされている埃(ほこり)たちだった。
それをただじっと眺めている。そうすると、その埃たちの動きが面白い!
ふわぁっとしたと思うとジグザグに動く。
そう! 埃は空気とぶつかって『ブラウン運動』をしているのだ!
勉強嫌いの私が、物理学に興味を抱いた瞬間だった。
今でも、光にかざされた埃たちの動きを見ると、この時の心境を思い出す。幼少の頃の大切な思い出・・・
1 たとえば君が 傷ついて くじけそうになった時は かならずぼくがそばにいて ささえてあげるよ その肩を
世界中の 希望のせて この地球は まわってる いま未来の 扉を開けるとき 悲しみや苦しみが
いつの日か 喜びにかわるだろう I BELIEVE IN FUTUER 信じてる
2 もしも誰かが 君のそばで 泣き出しそうになった時は 黙って腕を とりながら 一緒に歩いて くれるよね
世界中の やさしさで この地球を 包みたい いま素直な 気持ちになれるなら 憧れや愛しさが
大空にはじけて 耀(ひか)るだろう I BELIEVE IN FUTUER 信じてる
いま未来の 扉を開けるとき I BELIEVE IN FUTUER 信じてる
-作詞・作曲ー 杉本竜一氏 BELIEVE より
誰にも この苦しみ 悩みを言えない時は、どうしたらいいのだろう・・
海に相談しても、ただ波が繰り返し押し寄せてくるだけ・・
空に相談しても、悠々と雲が流れ去っていくだけ・・
どうしようもなく、心が潰される事ってあるんだ
そんな時、傍にいてくれるだけでいい・・
話を聞いてくれるだけでいい・・
そんな人に 出逢いたい
日曜日の休日 部屋の掃除をしていたら 近所の少年が網戸越しに訪ねてきた
「お手伝いしまーす♪」と言いながら、それはひとつの口実で 家に入って遊びたいのだろう・・
そう思いながらも 「し゜ゃあ よろしく!」と ドアを開けてあげた
案の定、金魚のフンのように掃除機をかれる私にぴったりくっついて話しかけてくる・・
部屋が終わり、トイレの掃除にとりかかった
彼は またもやくっついてくる・・本当に面白い!そしてかわいい!
トイレには一輪ざしがひとつある
それを私が丁寧に拭き取っていると、彼はいきなり「そうだっ!」っと言い 慌てて外へ駆け去っていった
どこへ行ったやら?
5分もすると、息をはぁはぁさせながら 「たた゜いまーっ」っと彼が帰ってきた(もうすっかり我が家だと思っている)
その彼の片手には色とりどりの花々が生き苦しそうに握りしめられていた
「採ってきたょー♪」 そして、先ほど綺麗にしたばかりの一輪ざしにその花々を活けてくれた
「どこで採ってきたの?」の問いに 彼は「裏のお山だょッ!」と答えた
ただ嬉しかった
彼の優しさが この屈託のない笑顔が この瞬間を幸せにしてくれた
この子がいつまでも今の純粋な気持ちを持ってくれることを祈りながら
「わぁっ!ありがとう!」と笑顔で答えた
子供は神様からの授かりもの 神の子
これはいつの時代も変わるまい